加賀(金沢)の〈いろはかるた〉の謎
北村孝一
手元に木版多色刷の「いろはかるた貼交図」(仮称)があります。20年ほど前のことで記憶も薄れましたが、ふとした気まぐれで金沢の古書店から購入したものです。きっかけは、ネットの目録に「いろはカルタ貼り雑ぜ」とあるのに気づいたことでした。当時は、古書店がネットの時代に入って間もない頃で、あまりネットで注文したことはなかったのですが、問い合わせてみたところ、メールですぐに画像を送ってくれて驚いた覚えがあります。ラフな画像で細部まではわからなかったのですが、一枚刷りで、これまで見たことのない〈いろはかるた〉が描かれていると思い、注文してみました。
届いてみると、比較的きれいな色刷りで、かるたを実際に貼ったものではありませんが、38×27ミリほどの〈いろはかるた〉がばらばらに散らしたように描かれていて、「貼り雑ぜ」とした気持ちもわからないではありません。かるたは「い」から「京」まで、48組すべてそろっています。文句を読んでいくと、大まかには江戸系が多い(24枚)のですが、上方系のものもかなりあり(11枚)、どちらにも属さないものも多く(13枚)混じっています。全体として、どうやらあまり類のない、珍しいものという印象でした。(その後いつのまにか長い歳月が経過しましたが、同一のものや他の加賀のものが出てきたという話は耳にしていません。)
今年(2018年)の〈いろはかるたを楽しむ会〉では、この「貼交図(はりまぜず)」から加賀の〈いろはかるた〉を作って遊んでみようと思い立ちました。「貼交図」には絵札も読み札も48組きれいにそろっていますから、出来上がったら〈加賀いろは(かるた)〉と呼んでよいでしょう。
そこで、久しぶりに「貼交図」を取り出して全体をゆっくり眺めてみると、あらためてさまざまな疑問が浮かんできます。
まず、この刷り物がいつ頃、どこで作られたのでしょうか?
購入時の古書店主の話では、金沢近辺のコレクターの旧蔵品で、幕末頃のものではないかということでした。刊記がないので断定はできませんが、旧所蔵者が金沢周辺にいたことや、紙質、刷り、全体の雰囲気などからすると、幕末頃、加賀で作られたものという蓋然性は高いのではないかと思います。
次に、刷り物に描かれた〈いろはかるた〉が実在したかどうか、という疑問もあります。実際に〈かるた〉として販売され、遊ばれていたどうかとなると、これという手がかりがなく、さっぱりわからないというのが正直なところです。粋人が大枚をはたき、あたかもすべて実物であるかのように絵師に描かせ、刷り物にしたてた可能性もないとはいえないでしょう。
また、この加賀の〈いろはかるた〉は、どのような系統のものなのでしょうか? 一般に〈いろはかるた〉は、上方のもの、江戸のもの、その他のもの、の3つに分けられますが、〈加賀いろは〉の場合、いずれも入り混じっていて、どのように位置づければよいのか、戸惑ってしまいます。
このようにみてくると、じつに謎の多い〈いろはかるた〉ですが、下地に桜の花びららしきものが散らされ、どこかふんわりと優しい「貼交図」を眺めているうちに、楽しむ会で子どもたちと一緒にこの〈加賀いろはかるた〉で遊ぶことが、とても楽しみになってきました。
その際、参加者の皆さまのお知恵を拝借して、少しでもこのかるたの謎を解明したいと願っていますが、どうなることやら、いまのところはまだ見当がついていません。
追記 その後、実際に〈加賀いろは〉を作ってみて、だんだん馴染んでくると、どうやら特徴が実感できるようになりました。そして、他の江戸系や上方系のかるたと比較したり、どちらの系統にも属さないその他のものに注目して調べていくと、興味深いことが少しずつ分かってきました。続きは、当日お話ししますが、重要なヒントになったのは斎藤月岑(げっしん)の未刊の随筆「翟巣(てきそう)慢筆」(慶応2年の部分)です。(当日資料)
加賀のいろはかるたの系統
参考資料 その他の系統のかるたの対照結果 北村孝一 (2018.5.5当日資料)
〈加賀いろは〉の文句のうち、江戸系でも上方系でもないもの(十三項目)をいろは順に抜き出し、斎藤月岑(げっしん)の『翟巣(てきそう)漫筆』の「同じ比(ころ)のたとへ歌かるた」(つまり、文化の頃の別のいろはかるたの意。「★月岑」と略)や「ことわざ五十句かるた」(仮称、岩本史郎氏所蔵、「五十句」と略)などと対照した結果は次のとおりです。
1、をぶつた子よりだいた子 ※五十句(おゝた子より だいた子)
2、かれきもやまのにぎやかし ★月岑 五十句(かれ木も 山のにきはひ)、百句(かれ木も)
3、たまにきす ※源氏物語など
4、つんぼのはやみゝ ※月岑は「北斎かるた」とする
5、ゐのはたのちやわん ★月岑(ゐどはたの茶わん)
6、くらへどもあじわいしらず ※礼記‐大学の「心ここにあらざれば視れども見えず」の少し後に続く一節
7、やぶからぼう ★月岑
8、けんかすぎてのぼうちきり ★月岑(~木)
9、ころばぬさきのつゑ ※和歌民のかまど(1726)など、かるたの例もあるようだが未確認
10、あいたくちにもち ※俳諧二重染(1734)など
11、きからおちたさる ★月岑欄外 きから落たさる
12、ひざともだんこう ★月岑欄外(ひざともだんがう)五十句/傾城盛衰記
13、もときにまさるうらきなし ★月岑
この結果をみると、13項目のうち7項目(4も一致とみなすと8項目)が月岑の「同じ比(=文化年間)のたとへ歌かるた」とほぼ一致することになり、両者の関係がかなり密接なものであることをうかがわせます。月岑の記述が古い記憶にもとづいて書いたものであることに注意が必要ですが、一致する比率が高いことに加え、「きからおちたさる」のようにことわざとして珍しいものや、「かれきもやまのにぎやかし」のように細部も一致するものがあることは、偶然ではなく、何らかの関連があることを示唆しているのではないでしょうか。月岑は、このほかに「昔よりありしいろはたとへ歌かるた」と「文化比北斎のいろはたとへ」の内容も記録していて、その記述は高く評価されています。しかし、第三の「同じ比のたとへ歌かるた」は不明な点が多く、鈴木棠三氏は「正体がよく分らない」(『今昔いろはカルタ』、錦正社、1973)とされていました。しかし、前述の〈加賀いろは〉の検討によって、逆にこの第三のかるたが一定の影響力をもっていた可能性が考えられるでしょう。
斎藤月岑(げっしん)(1804-78) 江戸末期の著述家。『江戸名所図会』の完成者として知られるほか、『東都歳時記』『武江年表』『声曲類纂』などを著述。江戸草分けの名主の家に生まれ、代々市左衛門を襲名した九代目。内神田雉子町に住み、六カ町を支配した。なお、『翟巣(てきそう)漫筆』のいろはかるたに関する部分は、『ことわざ資料叢書』第1輯第6巻に影印で収録されている。
加賀のいろはかるた
系統字色 : (江戸)・(上方)・(その他)
元読み札
い いぬもあるけばぼうにあたる (江戸)
ろ ろんごよみのろんごしらず (江戸)
は はなよりだんご (江戸)
に にくまれ子くにゝはゞかる (江戸)
ほ ほとけのかをもさんど (上方)
ヘ へたのながたんぎ (上方)
と とうふにかすがへ (上方)
ち ぢこく〔の〕さたもかねしだい (上方)
り りちぎものゝ子だくさん (江戸)
ぬ ぬす人のひるね (江戸)
る るいはともをよぶ (上方)
を をぶつた子よりだいた子 (その他)
わ わらふかどにはふくきたる (上方)
か かれきもやまのにぎやかし (その他)
よ よしのずいからてんじやうのぞく (江戸)
た たまにきす (その他)
れ れうやくくちににかし (江戸)
そ そうりやうのじんろく (江戸)
つ つんぼのはやみゝ (その他)
ね ねんにはねんをいれ (江戸)
な なくつらへはち (江戸)
ら らくあれはくあり (江戸)
む むまのみみにかせ (上方)
う うじよりそだち (上方)
ゐ ゐのはたのちやわん (その他)
の のどもとすぐればあつさわするゝ (江戸)
お おにゝかなぼう (江戸)
く くらへどもあじわいしらず (その他)
や やぶからぼう (その他)
ま まかぬたねははへぬ (上方)
け けんかすぎてのぼうちきり (その他)
ふ ふみをやるにもかくてはもたぬ (江戸)
こ ころばぬさきのつゑ (その他)
え えてにほをあげ (江戸)
て ていしゆのすきなあかゑぼし (江戸)
あ あいたくちにもち (その他)
さ さんべんまわつてたばこにしよ (江戸)
き きからおちたさる (その他)
ゆ ゆだんたいてき (江戸)
め めくらのかきのぞき (上方)
み みからでたさび (江戸)
し しわんぼうのかきのたね (上方)
ゑ ゑんはいなもの (江戸)
ひ ひざともだんこう (その他)
も もときにまさるうらきなし (その他)
せ せにはらはかへられぬ (江戸)
す すいがみをくう (江戸)
京 京のゆめ大坂のゆめ (江戸)
系統字色 : (江戸)・(上方)・(その他)
かな漢字読み札
い 犬も歩けば棒に当たる (江戸)
ろ 論語読みの論語知らず (江戸)
は 花より団子 (江戸)
に 憎まれ子国に憚る (江戸)
ほ 仏の顔も三度 (上方)
ヘ 下手の長談義 (上方)
と 豆腐にかすがい (上方)
ち 地獄〔の〕沙汰も金次第 (上方)
り 律儀者の子沢山 (江戸)
ぬ 盗人の昼寝 (江戸)
る 類は友を呼ぶ (上方)
を おぶった子より抱いた子 (その他)
わ 笑う門には福来たる (上方)
か 枯れ木も山のにぎやかし (その他)
よ 蘆の髄から天井覗く (江戸)
た 玉に傷 (その他)
れ 良薬口に苦し (江戸)
そ 総領の甚六 (江戸)
つ つんぼの早耳 (その他)
ね 念には念を入れ (江戸)
な 泣く面へ蜂 (江戸)
ら 楽あれば苦あり (江戸)
む 馬の耳に風 (上方)
う 氏より育ち (上方)
ゐ 井のはたの茶碗 (その他)
の 喉元過ぐれば熱さ忘するる (江戸)
お 鬼に金棒 (江戸)
く 食らえども味わい知らず (その他)
や 藪から棒 (その他)
ま 播かぬ種生えぬ (上方)
け 喧嘩過ぎての棒ちきり (その他)
ふ 文をやるにも書く手は持たぬ (江戸)
こ 転ばぬ先の杖 (その他)
え 得手に帆を揚げ (江戸)
て 亭主の好きな赤烏帽子 (江戸)
あ 開いた口に餅 (その他)
さ 三遍回って煙草にしよ (江戸)
き 木から落ちた猿 (その他)
ゆ 油断大敵 (江戸)
め めくらの垣覗き (上方)
み 身から出た錆 (江戸)
し 吝(しわ)ん坊の柿の種 (上方)
ゑ 縁は異なもの (江戸)
ひ 膝とも談合 (その他)
も 本木に勝る末(うら)木なし (その他)
せ 背に腹はかえられぬ (江戸)
す 粋が身を食う (江戸)
京 京の夢大坂の夢 (江戸)